主 旨
石巻から宮古まで、国道45号沿線で取壊しが決定した小学校・中学校の校歌を、被災した学校のピアノで記録する。これは浸水域のピアノに現れた被害を記録する行為であり、調律は一切行わないものとする。別途、全くの失音状態である場合に限り、解体時にピアノ本体を救出し、修復後に原位置に戻して音源保存を行う。
特 集
地域のランドマークとなっている学校の、解体時におけるピアノの行方とその後の復興計画を継続して追う。
ポリシー
各自治体との取決めにより、PTSDに配慮し、記録開始から2年間は映像・音源を公開しないものとする。別途、地域の復興に役立てる明確な目的があるときは、積極的に報道へ情報提供するものとする。
沿岸で被災して解体決定した学校では、多くの場合、校庭が瓦礫置場となっている。さらにその多くの学校の音楽室は最上階で海に面していて、校舎よりも高い瓦礫の向こうに広がる海と、津波が去った空虚な町の境界を、ガラスの無い窓から見下ろす位置にグランドピアノがあるか、或いは、あった。私はある時から、危機感と焦燥感を持って「校歌を演奏したビアノ」の捜索に走っていた。学校の校舎を失うことは、「校歌」を失うことと同じである。潮に浸かり、異物と激突し、火災に遭って音が変調したピアノは、震災で受けた学校の被害をそのまま映している。「ありのままの音で、校歌の景観を記録に残すこと。」テーマをそう決めた。今、東日本大震災が同時多発で「ピアノの音」にもたらした津波表現を、後の世に届けることに使命を持つのはなぜか。子供の頃、自らが校歌伴奏者であったことをつい最近になって思い出し、ここに至る原点を見た気がした。 (2012.09.14/企画者・新藤)